2025年度の奨学生に選ばれた作文を一部ご紹介します。
様々な国・地域出身の奨学生達の将来の夢や留学を決めた理由を、ご理解いただけると思います。
将来の夢
韓国
東京ギャラクシー日本語学校 金 俊熙
私の夢は、日本の大学で心理学を勉強し、犯罪行動分析官になることだ。
高校一年生の時、小さな詐欺に遭ったことがある。警察の助けを受けて無事犯人が逮捕されたが、この時私は警察官への感謝の気持ちと共に事件の被害者の辛さを痛感した。捜査が始まり終わるまでの間、被害者は警察からの連絡を待つしかない。ひたすら待っている時の不安や無力感は事件の衝撃くらい辛かった。この経験をきっかけに、私は将来犯罪捜査に協力する仕事がしたいと思った。
捜査に関わる職業の中で私が最も惹かれたのは、心理学を活用し犯人を特定する犯罪行動分析官だった。子供の頃から人の内面に興味があり、心理学に関心があった。目で見ることも測ることもできなくて、明確な定義があるわけでもないのに、人の行動に強い影響を与えるのが面白い。犯罪行動分析官は、心理学を生かして人を助ける優しくて素敵な仕事だ。
私が日本を選んだのは、ポリグラフ検査の研究がしたいからだ。これは事件関係者の生理反応から情報を探り出す検査で、一般的には一つの質問に対する答えの真偽を判断する。しかし、日本では、複数の質問をして、事件に関する情報を認識しているかどうかを判定する独特な方法を用い、世界から注目されている。
李秀賢さんは貿易の勉強以外に、日韓の架け橋になるという心の夢があり、人を思いやる人生を送った。私にもそのような夢がある。初めて日本に来た時、公の場を綺麗に使い、秩序正しく優しい人たちを見て感動した。さらに、それが個人だけでなく社会全体の慣習になっていて、社会意識の高さを感じた。私は日本で、心理学と共に優しさを学んでいきたい。そうして身につけた優しさを韓国の人にも伝えていくと少しずつ社会は温かくなっていくと思う。日本で学べるのは、学問だけではないのだ。
中国
神戸東洋日本語学院 夏合旦提 麻合木提
私は中国新疆ウイグル自治区出身のウイグル族の学生です。幼い頃から医師になることが夢であり、医学の道を志して努力を重ねてきました。将来は医学研究者として、病気に苦しむ多くの人々を救い、社会に貢献できる人間になりたいと考えています。そして、私の原点でもあるこの夢が、私の人生を支えてきました。
2014年、私は新疆の辺境地域から山東省の「新疆班」に合格し、高校生活をスタートさせました。当時、多くの人から「医学の道は難しすぎる」と言われましたが、私は夢を諦めることなく、日々勉強に励みました。その努力が実り、陝西中医薬大学臨床医学を専門とする大学に進学し、2023年7月には「優秀実習生」の称号をいただいて医学学士として卒業することができました。
私の夢は、中国で医学を学ぶことだけにとどまりません。医学研究が世界的に進んでいる日本で学び、さらに高いレベルの知識と技術を身に着けたいと強く思っていました。その思いを実現するため、いくつも困難や挫折を乗り越え、2024年10月に一人で日本神戸の語学学校に来ました。言葉の壁や生活の違いに戸惑いながらも、私は毎日日本語の勉強に励みながら、博士課程への準備を進めています。
将来、私は医学研究に情熱を注ぎ、多くの患者さんに希望の光を届けられる研究者になりたいです。また、日本と中国をつなぐ医療の懸け橋として、両国の医療研究の発展に貢献できる存在を目指しています。
どれだけ道が険しくても、「道がある限り乗り越えられる」と私は信じています。そして、将来は私自身が後輩たちの夢を支える存在となれるよう成長していきたいです。
ベトナム
日本語学校つくばスマイル HOANG MINH ANH
私の将来の夢は、ベトナムで日本語を教える教師になることです。小学生の頃、私は英語が大嫌いでした。文法も発音も難しいので、授業が早く終わってほしかったです。しかし、大学に入って、外国語が自分の将来にとってどれほど重要かを実感し、語学学習に対する考え方が大きく変わりました。
まず英語の勉強を、次に興味のあった韓国語の勉強も始めました。韓国ドラマが大好きだったので、楽しく勉強できました。そして韓国語を一年ほど学んだ後、日本語の勉強も始めました。
日本語はとても難しい言語ですが、韓国語の学習経験が役立ちました。例えば、日本語、韓国語、ベトナム語には漢字の影響があり、漢字の意味を覚えるのが比較的簡単でした。また、日本語と韓国語の文法は似ている点が多く、日本語の文法を理解する際に母語に翻訳しやすいと感じました。
日本語を学び始めたことで、私はもっと深く日本の言葉や文化に触れたい、そして将来は日本語教師になりたいと思うようになりました。そのためには、実際に日本で生活し、日本語で人々と関わる経験が大切だと考えました。さらに、日本の教育現場や社会の雰囲気を肌で感じることで、自分の視野を広げ、よりよい教師になるための力を身につけられると思い、日本への留学を決意しました。
日本に来てから3ヶ月ほど経った頃、日本語学校に通えないベトナム人の友人に、N5レベルの日本語をオンラインで教えました。約2ヶ月で、その友人は簡単な日常会話ができるようになりました。一緒に出かけたとき、日本人と自然に話す様子を見て、私は本当に嬉しかったです。
この経験を通して、日本語教師という職業に本気で向き合いたいと思うようになりました。将来は経済的に困っているけれど、日本語を真剣に学びたいと思っているベトナム人の若者達をサポートしたいです。日本語を通じて、彼らの未来の可能性を広げる手助けができる教師になりたいと思っています。
ミャンマー
神戸外語教育学院 YEE MON
私の夢は、作家になることです。小さい頃から本を読むのが好きで、子ども向け文学を楽しむ子どもでした。十代になってからは読書の本当の面白さを理解するようになり、本から未来に立ち向かうための勇気や力をもらえることに気づきました。また、文学が人に与える影響、言葉には人の心を変える力があることも知るようになりました。それで高校生のときに作家になりたいと思うようになりました。
大学一年生のときに、ミャンマーの有名な作家、ミィンティンの小説『剣の山を越えて、炎の海を渡る』を読んでから、作家になりたいという気持ちがさらに強くなりました。この小説では、若者たちの感情や悲しみ、不安、そして人生の困難が、まるで剣の山ほど高く、炎の海のように広く描かれています。登場人物たちの強い感情が言葉で美しく表現されていることに感動し、言葉の力を改めて感じました。いつか私も、人々の心に感動や悲しみ、喜びなど、さまざまな感情を生み出せるような本を書きたいと思っています。
実のところ、文章を書くということは簡単な仕事ではないと思います。「本当にできるのか」「自分に才能がない」と思ってこの夢を諦めたくなったこともありました。しかし、書くことは”声なき声”ということに気づきました。会話にできない人々の思いを、文章を通して代わりに伝えたいと思いました。私はイ・スヒョン氏のことを知ってからは、自分の夢に向かって努力し続ける勇気をもらえました。イ氏のまったく知らない人のために、自分の命さえ顧みず助けた行動は、本当に感動的でした。私も将来、壮大で立派なことではなくても、人々の悲しみが少しでも癒される文章を書いていきたいです。イ氏の物語を読んで、私が勇気をもらえたように、私も文章で誰かの心を励ましたいです。
スリランカ
早稲田京福語学院 HETTI ARACHCHIGE NIMESHA MADUMALKI
人生は川の流れのようなものです。時には静かに、そして平和に流れますが、時には驚くほどの勢いで流れます。何が起こっても、人生で重要なことは自分の夢に集中することです。なぜなら、あなたの人生の夢は、それに前向きに取り組むためのエネルギーとインスピレーションを与えるからです。私には人生でかなえたい夢がいくつかあります。短期的な夢もあれば、長期的な夢もあります。これから、それらを皆さんに共有します。
まずは日本語をしっかり学び、私の日本語を不自由のない状態に持っていくことが大切です。それを夢見て、私は毎日日本語を勉強し、練習しています。日本語をしっかり学ぶことが私の他のすべての夢の基礎であり、努力が必要であることを知っています、私は良い教育者と良い友達に本当に恵まれており、夢を追いかけるためのエネルギーを与えてもらっています。
そして、プロの美容師になるのが子供の頃からの夢です、私はいつでも美容師への道を追求する準備ができており、日本語学校を修了したのち次のステップは専門学校に進学することです。私はチャンスを根気強く持ちつつ、達成するために前向き取り組んでいます。プロの美容師になったら、いつか日本に自分のサロンをオープンし、その名前を「Saloon Bee」とします。着付けやメイクで人を美しくしてあげることを楽しみたいです。さらに、夢を追い求めれば、いつかスリランカに支店を開設し、起業家として成功するでしょう。
そして、母にとって良い娘になること、兄にとって良い妹になることが常に私の夢の中でもっとも大切なものです。彼らは私の人生の根幹であり、私の人生の成功を彼らは誇りに思っており、私はそれを具現化することを日々夢見ています。近い将来、私は自分で稼いだお金で母に恩返しとしてお世話をしたいです。母は幸せと共に誇りを感じるでしょう。また、良き妻となり子どもを育て、社会にとって価値のある人になることも私の夢の一つです。また、良き妻となり子どもを育て、社会にとって価値のある人になることも私の夢の一つです。
夢は私たちを生かし、夢は生きる希望を与えてくれます。世界中のみんなと同じように私も夢を見ており、そして追いかけています。すべての小川が最終的に海を見つけるように、私もいつか夢の中で成功すると確信しています。みなさんの心の中にある良い夢がいつか現実になることを願っています。
留学を決めた理由
インドネシア
カイ日本語スクール JOSE IMAN
私はインドネシア出身で、現在カイ日本語スクールで日本語を学んでいます。中学生の頃から外国語の学習に関心があり、その興味から日本語の勉強を始めました。英語とインドネシア語を話すことができますが、もう一つ言語を学びたいと考えていました。その理由は、世界はますます繋がり、グローバル化が進んでいるためです。
日本語を選んだ最初のきっかけは、中学生のときに日本旅行をしたことです。日本の文化や雰囲気に強い印象を受けましたが、その時は日本に留学することはまだ考えていませんでした。しかし、実際に日本に来たら、文化や料理、そして人々の礼儀正しさに深く惹かれました。今までに様々な国に行ったことがありますが、日本のように強く印象に残る国はありませんでした。
次の理由は、他の言語を学んだら、自分の世界が広がると考えたからです。友達だけではなく、ビジネスパートナーも増えていきます。今の時代には、国同士が助け合うことが重要です。例えば、日本は少子高齢化の問題で労働者が減っています。その解決方法の一つは、外国人労働者を日本に受け入れることです。現在、インドネシアでは多くの若者にとって、仕事を見つける事が難しく、最低賃金も低いです。その結果、海外での就労を希望するインドネシア人が数多くいます。この状況は、両国に利益をもたらします。私は両国の架け橋になることを目指し、互いの文化を理解できる人間になりたいと考えています。
以上の理由から、日本に留学することを決めました。外国語を学ぶことは、非常に難しいことです。流暢に話せるようになるまでには時間とエネルギー、そしてお金がかかりますが、そこまで日本語力を高めていけるよう頑張りたいと思います。そして将来的には日本とインドネシアの架け橋になり、両国の発展に貢献したいと考えています。その目標に一歩近づくことができれば、幸いです。
中国
育秀国際語学院 続 昌賢
私は中国の大学に入学した時から、いつか留学したいと考えていました。でも、どの国に行くかはすぐに決められませんでした。周りの多くはアメリカやヨーロッパを目指していましたが、私は中国の近くにある日本に興味を持っていました。大学では物理学を学びましたが、次第に実社会と関わる技術や応用研究に関心を持ち、日本での学びに魅力を感じました。
日本はアジアで最も早く工業化を進め、精密な製造業や自動車産業で世界的に高く評価されています。一方、中国では近年、新エネルギーや電気自動車の分野が急速に発展しています。私は、両国がそれぞれの強みを活かして協力すれば、大きな価値を生み出せると信じています。
しかし実際には、両国の間には誤解や偏見も多くあります。私の周囲にも、日本に対して否定的な印象を持つ人が少なくありませんでした。けれども私は、「違うから怖い」のではなく、「違うからこそ知る価値がある」と思い、日本への留学を決意しました。
将来は、日本で学んだ電気工学の知識と語学力を活かし、技術分野での日中協力に貢献したいと考えています。私の研究は、電動機から漏れる電磁波を抑え、電気自動車の快適性と安全性を高めることを目的としています。これは、目に見えにくい部分にまで技術で配慮するという、日本のユーザー志向の文化と深く関係する分野だと感じています。たとえば、中国のバッテリー技術と、日本の高性能モーターや制御技術を組み合わせた共同研究や、企業間の技術交流プロジェクトへの参加を目指しています。また、日本企業が中国市場に進出する際の橋渡しや、中国の技術者が日本で研究しやすい環境づくりにも関わっていきたいです。
そうした協力を通じて、単なる文化交流にとどまらず、具体的な成果につながる中日友好の形を築いていければと願っています。その第一歩として、言語と文化を深く理解する力を、今ここでしっかりと身につけたいと考えています。
