奨学生の作文

2024年度の奨学生に選ばれた作文を一部ご紹介します。

様々な国・地域出身の奨学生達の将来の夢や留学を決めた理由を、ご理解いただけると思います。

将来の夢

中国

岡山外語学院  李娜

私の夢は、日中韓の三か国語の学校を設立することです。 この学校では、日本語、中国語、韓国語の三つの言語を学ぶことができます。 オンラインコースと対面コースがあり、多くの交流会を開催して、様々な国の人々が一緒に言語を学び、議論する機会を提供します。 

 私は韓国語と中国語が話せ、現在日本語を学んでいるので、これらの言語の効率がいい学習方法を知っています。 例えば、中国の漢字と日本の漢字、日本語の発音と韓国語の発音の類似点を利用すると、理解がスムーズになります。 また、三国の教育システムも非常に似ています。 

 私はオンラインで2年、対面で1年、外国人に中国語を教えた経験があります。 この経験を通じて、教育に強い興味を持ち、言語教育に対する夢を抱くようになりました。 言語を学ぶことで文化を深く理解し、国際文化交流を愛する者として、日中韓および他国との間の架け橋になりたいと考えています。 

 まず、今は日本語を一生懸命学び、教育分野の大学院に進学して研究をしたいです。 そして、オンラインの学校を設立して経験と資金を蓄え、それを活かして対面の学校を開校したいです。 

 この夢を実現するには多くのチャレンジが必要です。 現在の教育市場は飽和状態で競争が激しく、新しいアイディアが求められます。 さらに、資金の問題もあります。 今、学費や生活費を自分で賄っていますが、これは自立の一環だと考えています。 この奨学金は今の困難な時期の助けとなり、夢を支える資金にもなります。 何より、私にとって大きな栄誉と目標を持ち続ける動機になります。 

 これからも自分の夢を諦めず、夢に近づけるように努力を続けていきたいです。 

ミャンマー

東京国際大学付属日本語学校  LAL SIAN MUNG

私の国ミャンマーでは選挙で勝った与党と軍隊の権利が分離した事で混乱が起きました。中々解決せず時間が経つにつれて状態がさらに悪化しました。しばらくすると軍隊に反抗するデモがしばらく続きました。政治が不安になっていることやコロナウィルスの影響などが原因で国内の全ての学校が閉校しました。その為、私は海外に留学することを決断し、日本を選びました。日本を選んだ理由はアジアの先進国かつ、G7のメンバーで、教育制度が優れており、留学生に対して様々な奨学金プログラムがあるからです。  

 私の将来の夢は日本の経済大学に進学することです。大学を卒業した後は大学院に進学してJICAに就職したいと考えています。JICAに就職したい理由は以下のとおりです。私の国は発展途上国です。つまり貧困国で、貧しい人が多いです。大企業より中小企業のほうが多くて農業が盛んな国です。そこで私の目標は中小企業を育てて支えることです。中小企業へ低い利息でお金を貸し、それぞれの会社が自立して安定するまで育てたいです。中小企業が成長するにつれ、国内の就職率も高くなり、貧しい国民の生活も豊かになります。失業者も減り、就職率も高くなっていくと思います。労働者が多くなると国に税金を収める国民も多くなり、税金が増えることで政府は国を発展させる計画を立てられるようになります。そのためには、経済の知識が必要です。経済を学ぶことで国内総生産を増やす方法、さらに輸入を減らして、輸出を増やす方法などの提案を国に出したいです。  

 私の将来の夢は日本の大学で経済学を勉強して、日本で教わった知識を生かして母国のために役に立てる人間になることです。

モンゴル

日立さくら日本語学校  SARANTUYA BAYARTSENGEL

私の夢は小説家になることです。小説家が夢というと、子どものころから本が好きだったと思われるかもしれませんが、子どもの時、私は本が好きではありませんでした。モンゴルには「本は世界を見る窓」という言葉があるので、親に本を読みなさいとよく言われて、しぶしぶ本を読むような子どもでした。  

 そんな私が小説家になりたいと思うようになったきっかけは、高校生の時の作文の授業です。作文のテーマは「母について」でした。ほとんどの学生はお母さんの優しさなどについて書きました。私は「母親が子供を産み育てるときの大変さ」をテーマに、陣痛の痛みや、時には命がけで出産をする母親について書きました。その作文をみんなの前で発表した時、クラスのともだちが「あなたの作文を読んで、自分の母の愛が初めて分かった」と言ってくれました。私の書いた文章で、ふだん気が付かないことを人に気づかせることができたのです。この経験は、もっともっと文章を書きたいと思うきっかけとなりました。それから私は本が大好きになり、たくさんの本を読むようになりました。日本へ留学することに決めた理由の一つは、村上春樹の「ノルウェイの森」を読んだからです。  

 また、コロナの時にモンゴルでは、人々は移動に制限があって、とても大変でした。あるとき、ニュースで、大変な病気になったお父さんのために、高校生が市長に「私のお父さんが治療のためにほかの市に行けるようにしてほしい」という手紙を送ったら、市長から返事が来て、その高校生のお父さんは隣の市の病院へ行くことができたいうことを知りました。それを聞いて、私は言葉には人を助ける力があると感じました。大切な時、言葉で人を助けることができるのです。将来は言葉を使って人を助ける仕事をしたいと思いました。  

 わたしは、将来小説家になって、人々が大切なことに気づくきっかけをあたえたり、言葉の力で人々を助けたいと思います。  

香港

コミュニカ学院   莫俊威

「将来の夢」と言えば、若者のものだけと思う人が多いかもしれない。年を取った人も「将来の夢」を持てるだろうか。私は若者ではなく、今まで様々な人生を過ごしてきた。一般的には私の年代は安定した将来を求めるだろう。しかし私は去年日本留学することを決め、今年の1月に日本に来た。家族や友人と離れ、仕事を辞めて知らない場所で新しい言語を学んでいる。それは「将来の夢」のためだ。  

 私の「将来の夢」は、日本で生活することだ。日本の文化は世界中で唯一無二だと思う。深い歴史がある建築物や伝統文化を守っていて、同時にいきいきとしたアニメや漫画も栄え続けている。その不思議な状況は他の国では見つけられない。私はこのようなたくさん可能性がある日本で生活をしたいと思っている。  

 私は日本語学校を卒業したあと、自分の会社を作りたいと思っている。自分の経験と知識を使って、イベント制作についての仕事をしたい。香港や台湾の会社が日本で行うイベントや交流会をサポートする会社だ。この会社が日本と香港・台湾の架け橋のようにして、場所のことを連絡したり通訳したりしたいと思っている。そのために、私にとって今一番重要なことは、日本語ができるようになることだ。この会社は私1人ではなく学校のクラスメートと一緒に作りたいと思っている。各自の長所を合わせて、互いに助け合うことで会社は成長できると思う。  

 そして、もし仕事ができたら妻をふるさとから日本に呼びたい。妻と犬と共に暮らすことが私の夢だ。余裕があれば動物を助けることもしたい。私は来日前に動物のボランティアをしていたが、世界で人間と動物が互いに共存するのはとても大事だと思う。  

 夢は何歳になってももつべきだ。日本の有名なマンガ「北斗の拳」のキャラクター、ラオウが、「我が生涯に一片の悔いなし」と言った。私はその名言にあこがれ自分の夢に向かって頑張りたいと思う。  

バングラデシュ

仙台国際日本語学校 RAJIB MD MAHEDI HASAN

私の将来の夢は、バングラデシュに日本のような信号機を導入することです。 

 私は子どものころからエンジニアになりたいと思っていました。日本に留学することに決めた理由は2つあります。一つは、日本は電子工学の技術先進国だからです。私は自動車やコンピューターなどの電子工学に興味があって、最新の技術を学びたいと思っていました。2つ目は、小さいころから日本に興味があったからです。子どものころに、新幹線や日本の車の話を聞いて、いつか行ってみたいと思っていました。 

 日本に来て1年以上になりますが、日本は私が子供のころに聞いて、思っていた通りの国です。私は、日本の生活やシステムが好きです。その中で一番好きなものは、信号機です。 

 今、バングラデシュにはあまり信号がありません。そのせいで、毎年多くの人がなくなっています。信号機の代わりに、警察が道に立っているところもありますが、信号機がないので、人が道をわたるのはとても危ないです。そして、人と車の事故や車と車の事故も多いです。事故で、渋滞も発生します。 

 日本に来て、町の中にたくさん信号機があるので驚きました。車も多いのに、事故や渋滞が少なくて、安全だと思いました。小さい子供も安心して一人で歩けます。渋滞がないので人々は時間通りにしごとにも行けます。 

 日本が事故が少なく、子どもも安心して歩けるのは、信号機のシステムがとてもいいからだと思います。それで、将来、バングラデシュの道路に日本のような信号を作りたいと思うようになりました。そのことで多くの人の命を守り、子どもたちが安全に横断でき人々が時間通りにしごとに行けるようになるはずです。 

 そのために、大学に進学して、電子工学を学びたいと思っています。将来は、日本で学んだ知識や技術をバングラデシュに持ちかえり、国の発展に役立てたいです。

韓国

東京YMCAにほんご学院 曺 禎焄

私の将来の夢は日韓市民の相互理解のかけはしになることです。

 私は来年、日本の大学院進学を夢見ています。大学院で日韓関係と市民の役割について勉強しようと思っています。今、大学院進学を目標に日本語が上達するように努力中です。

 私は大学生の時、日韓間の正しい関係を作るために日韓の歴史認識の差を縮めるための活動をしていました。この活動を通じてお互いの考え方の違いを理解するようになりました。そして、お互いを認めて一緒に努力をすればより良い未来を作ることができるという希望を持ちました。

 依然として日韓間の長い歴史的葛藤でお互いを傷つけることが起きています。また、日韓市民間の協力の重要性を悟らせた李秀賢さんの崇高な犠牲も忘れ去られているようです。このようなことに向き合う度に私の心が安らかではなくなります。

 しかし、私は東京YMCAにほんご学院で勉強して、また希望を見つけました。

YMCAの分かち合い、生命尊重、平和のための精神はもちろん、韓国の民主主義と韓半島の平和のために共にしてきた活動の歴史を胸に刻み、私の夢を叶えるために勉強しています。

 これを土台に大学院に進学し、李秀賢さんの崇高な犠牲精神とYMCAの理念を実践しようと思います。

 大学院での勉強と実践を通じて、李秀賢さんとYMCAの精神が生きていることを証明し、日韓市民が互いに理解し共同の善を築いていくかけはしとなり平和を実現したいと考えています。

スリランカ

早稲田京福語学院 HETTI ARACHCHIGE NIMESHA MADUMALKI

人生は川の流れのようなものです。時には静かに、そして平和に流れますが、時には驚くほどの勢いで流れます。何が起こっても、人生で重要なことは自分の夢に集中することです。なぜなら、あなたの人生の夢は、それに前向きに取り組むためのエネルギーとインスピレーションを与えるからです。私には人生でかなえたい夢がいくつかあります。短期的な夢もあれば、長期的な夢もあります。これから、それらを皆さんに共有します。 

 まずは日本語をしっかり学び、私の日本語を不自由のない状態に持っていくことが大切です。それを夢見て、私は毎日日本語を勉強し、練習しています。日本語をしっかり学ぶことが私の他のすべての夢の基礎であり、努力が必要であることを知っています、私は良い教育者と良い友達に本当に恵まれており、夢を追いかけるためのエネルギーを与えてもらっています。 

 そして、プロの美容師になるのが子供の頃からの夢です、私はいつでも美容師への道を追求する準備ができており、日本語学校を修了したのち次のステップは専門学校に進学することです。私はチャンスを根気強く持ちつつ、達成するために前向き取り組んでいます。プロの美容師なったら、いつか日本に自分のサロンをオープンし、その名前を「Saloon Bee」とします。着付けやメイクで人を美しくしてあげることを楽しみたいです。さらに、夢を追い求めれば、いつかスリランカに支店を開設し、起業家として成功するでしょう。 

 そして、母にとって良い娘になること、兄にとって良い妹になることが常に私の夢の中でもっとも大切なものです。彼らは私の人生の根幹であり、私の人生の成功を彼らはほこりに思っており、私はそれを具現化することを日々夢見ています。近い将来、私は自分で稼いだお金で母に恩返しとしてお世話をしたいです。母は幸せと共にほこりを感じるでしょう。そして、良くて素敵な奥さんになって、子供を育てて世界にとって価値のある人になることも私の夢リストにあります。 

 夢は私たちを生かし、夢は生きる希望を与えてくれます。世界中のみんなと同じように私も夢を見ており、そして追いかけています。すべての小川が最終的に海を見つけるように、私もいつか夢の中で成功すると確信しています。みなさんの心の中にある良い夢がいつか現実になることを願っています。 

留学を決めた理由

マレーシア

アティスインターナショナルアカデミー   楊 桂霞

小さい頃、父がどこかからカレンダーをもらって家の壁に掛けました。めくってみると優雅な着物を着ているモデル、雪化粧の富士山、満開の桜並木などが次々と目に飛び込んできました。そこは日本だと父から説明されて以来、日本に憧れてきました。   

 ドラえもんの漫画で夢一杯な小学生時代を楽しんで、青春の中高生時代は日本のドラマで過ごしてきました。四季折々の景色、綺麗に話される言語、母国マレーシアとは何もかも違います。もっと日本を知りたいと、マレーシア日本語協会で日本語を学び始めました   

そこで出会った瀬島先生のことは一生忘れられません。日本語だけでなく、文化や習慣なども教えてくれました。特に日本料理についてイキイキと話されて、興味がわきました。お弁当クラブに入って、卵焼きや茶碗蒸しなどの作り方を学び、家族にも作って食べさせました。皆が「すごいね!美味しい!」とほめてくれたことを今でも覚えています。また日本人のマナーについて聞いたとき、とても驚きました。電車やバスに乗るときどんなに込んでいても自然と列ができます。なぜ日本人はこんなに素晴らしいのか、言語や料理だけでなく生活習慣、文化、歴史の全てをもっともっと知りたくなり、将来日本へ留学することを夢見ました。   

 しかし人生は思った通りにはいきませんでした。母がアルツハイマーを患い、介護のために日本語の勉強も断念しました。介護中も留学の夢は諦めきれず、気づくと日本の店に通い、いつか自分が日本で生活することを想像していました。2019年に母が亡くなり、十年にわたった介護生活も終わりました。   

介護をして改めて気づいたことがあります。それは日々の健康的な食事の大切さです。日本は世界で健康的な食事の意識が最も高い国です。私は日本で食物栄養学を学び栄養士になって、将来日本やマレーシアだけでなく世界中の人たちに健康な食事を広めたいです。